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モンゴル式トイレ

  • エッセイ

空港のあるウランバートルから目的の街まで四輪車で五、六時間平原を走り続けるという。車を走らせ三〇分ほどすれば、ゴチャゴチャと立ち並んでいた家はまばらになり、目の前には淡い緑の草原を割く一本の道路が続くだけになる。窓で切り取られた景色の中に、丘陵が現れたり消えたりする。
しばらくして「トイレ休憩です」とガイドが車を止めたのは建物一つ見当たらない、だだっ広い平原である。私は躊躇して、車内からその様子を眺めた。

「男性の方はこっち、女性の方はこっちでしてください」 言われるままにツアー客が車を挟んで左右に散る。男性は小の場合立ったまま済ますが、女性はティッシュと窪地探しが欠かせない。数名の淑女が車の死角を探し、モグラが引っ込むように姿を消した。 これから一週間、移動中は全部こうなのかと考えると、正直苦々しい気持ちになった。潔癖というわけではないが、羞恥心の少しは持ち合わせている。我慢して数回の休憩を見送ったが気合だけではどうにもならい。乾燥のため喉は乾き、初めての青空トイレは存外すぐ体験することとなった。


他の人を真似て適当な場所を探す。格好つけたい気持ちを振り払い、思い切ってズボンを下ろし、しゃがんだ。本当は便座に座って落ち着きたいのに。 モンゴルへ来たことに若干の後悔を感じつつ、眉を潜めながら顔を上げると、目線の高さがバッチリと地平線と重なった。緑と青の境界は、はるか遠くに、蜃気楼を挟んで色を弾き合う。生き物も木も水も見当たらない大地は静かで、風の音さえ聞こえない。雲の影が、地面を撫でるような速度でゆっくりと流れる。
車と道路を背にすれば視界の中に人工物が一つもない。とても不思議な感覚である。普段目にする直線ばかりの雑然としたものとは全く違う、静かな曲線だけの世界だ。
車でみた景色は「絵」のように美しかったのに、無防備な姿で目線の高さを変えると一気にそれは私を包み込む「現実」になった。


ほぅ…と嘆息すると、身を震わせるこそばゆさが走り、じんわりと身体が温かくなる。 その瞬間、初めて知る爽やかな満足感が心を満たした。 目の前に広がる、自分の存在など全く意に介さない大地に、少しだけ自分の跡を刻めたような、どこか自然の一部になれたような、いたずらめいた誇らしさである。

「これがモンゴルか…」と、お尻を丸出しにしながら、私は感動を噛みしめた。 よく日本のトイレは世界一のクオリティだと言われるが、私はモンゴルの大平原こそ世界一だと思う。